INTERVIEW

久保公美子


ファッションデザイナー・高田賢三が、パリで“世界のKENZO”の地位を築き上げようとしていた時、久保公美子は単身パリに渡りKENZOのスタッフとして従事していました。帰国後は「anan」「ELLE JAPON」などのスタイリストとして活躍。時間を惜しんで買い物やリサーチに走り回り、生活の中心はいつもファッションにあったそう。そんなパリ時代から夢中になって集めたアンティークやヴィンテージのコレクションより、特にパリの思い出とそれと対比するようにジャポニズムをテーマにした品をご出品いただきました。久保氏の審美眼によって選ばれたモノたちのそのつくりや洗練された美しさとは?


――スタイリストとしての活動は、いつ頃からスタートしたのでしょうか。


久保公美子(以下「久保」):パリにいた頃、日本の出版社や雑誌のスタッフがパリへ来られると KENZO のスタッフが洋服をスタイリングして撮影していました。当時の日本では“スタイリスト”という仕事はまだちゃんとなくて、ブランドのスタッフがセレクトし、スタイリングするのが普通だったのです。日本に帰国後、本格的にスタートしたスタイリストの仕事にパリでの経験がとても役に立ちました。パルコやマガジンハウスのファッションページ、ファッションショーなどでスタイリングをさせていただき、フィールドが広がっていきました。

出展:anan


――今回、PASS THE BATONで開催する『Souvenirs de Paris・Japonisme(想い出のパリ・ジャポニズム)by Kumiko Kubo』では、どういったものをご出品いただいたのでしょうか。


久保:70年代はPARISが世界へ発信していた時代。シャネルやサンローラン、ダリ、ヌレエフなど各界のスーパースターが勢ぞろいしていました。サルトル&ボーヴォワールなどの思想やヌーヴェルヴァーグの映画の世界観やモードは新しい文化の香りがして人々を刺激していました。街中がエネルギーに溢れていて、その頃の日本にはないPARISやヨーロッパの香りのするモノを探し求めました。その想い出の品の中より選定したアンティークのバッグ、ローブ、コートは昔のPARISが色濃く香ります。


――そんな思い出のあるモノたちを今回手放そうと思ったのは、何か特別な理由があるのですか。


久保:私がコミュニケートできるのが“ファッション”だということに変わりはないのですが、モノというのは、価値を感じない人にとっては不要なものですよね。でも、だからといって、ただ手放してしまうのには抵抗があって、そんな時に出会ったのがʻPASS THE BATONʼでした。そのモノのストーリーとともに次の世代へ”PASSをする”という考え方は、私にすごくフィットしました。人から人へ、モノの背景にある物語と金額だけではない価値までもPASSしていく。その考え方に感動したのが、出品を決めた一番の理由でしょう。

出展:VOUGE





――今回は1970年代からパリや日本で集められたアンティークやヴィンテージ品を多数お預かりしています。この中で特に思い出深いモノについて伺えますか。


久保:ホースファー付の黒のシルクコートです。20 歳そこそこの私がよく手に入れることができたと思います。これぞフランス製と思い、当時の私にはとても高価なものでしたが購入しました。


――今後もPASS THE BATONに期待することとは?


久保:店のクオリティ、信頼、センス、サービスが他店と比べてはるかに高い。プレステージの高さは安心感を与え、安らぎを感じます。

PASS THE BATON MARUNOUCHI
『Souvenirs de Paris・Japonisme(想い出のパリ・ジャポニズム by Kumiko Kubo』
2019年12月4日(水)~
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